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日本への直言by稲盛和夫
1998年7月2日第1版第1刷発行PHP研究所からの、稲盛和夫盛和塾塾長が「いたたまれない」思いを綴ったモノです。「おわりに」の項で、本書を通して私(稲盛和夫)は、日本社会の大変革の必要性について述べてきた。これは外部から出来るモノではなく、内なる力で成し遂げなければならない。そして、その時間はもうあまり残されていない、と書いている。

変革には、当然のことながら痛みを伴う。今までのシステムの中で繁栄を享受してきた人々が、新しいシステムへの移行によって既得権益を失うこともあるだろう。また、一時的に社会秩序が混乱する場面が見られるかも知れない。しかし、それでも明るい夢の持てる、自由で活力ある社会を作り上げるために、私たちは改革を急がなくてはならない。

このような状況の中、日本の変革のあり方について、私の考えるところを、「直言」という形で述べさせて頂いた。何者にも左右されず、私が強く感じたことを敢えてストレートに表現したと最後に書かれている。確かに、論調がいつになくきつい気がします。これが稲盛和夫塾長の一面であるのかと、盛和塾生の一人として改めて思い知るところとなりました。

世の中は、一瞬たりともとどまることもなく変化し続けている。その変わり続ける実社会と、変わることがない日本の社会構造との間に現在摩擦が生じ、大きな軋轢が生まれている。戦後作り上げた社会システムをいつまでも維持しようとした結果、社会的腐敗や歪み、例えば、政官財の不祥事や、中高生による凶悪事件がもたらされているのではないだろうか。

今から130年ほど前、同じように日本が社会システムを根本的に変えなければならないときがあった。明治維新である。明治維新の立て役者の一人坂本龍馬が、「日本の国を洗濯いたしたく候」と豪語したように、現在の日本も過去の汚れを徹底的に洗い流すことが必要だ。日本が身にまとってきた着物は、確かにすばらしいモノだった。

しかし今ではもう真っ黒く汚れてしまって、腐臭を放っている。腐臭を放つ着物とは、戦後50年続いた制度やシステムである。官主導の統制型政治・行政システムは日本に経済的繁栄をもたらしたが、それが現在では弊害となっている。この間一度も洗ったことのない服は、世界の誰から見ても見苦しいほど汚れてしまっている。

成熟した経済大国となった日本は、グローバル・スタンダードが通用する世界、共生できる国になるべきだ。主権者たる国民が責任を持って、運営する本当の民主主義の国にならなくてはならない。豊になった今だからこそ、モラルを大切にしなければならない。

戦後、われわれが獲得した自由と民主主義の中では、心の持ち方は個人の自由であるべきだという意見が大半かも知れない。ましてや、考え方や価値判断の基準を、強制されることは嫌だという人も多いだろう。しかし、いかに自由と民主主義の社会といえども、決して自由気ままに行動しても良いという訳ではない。

とくに、富を生みだし、多くの国民を雇用している経営者は、誰から見ても正しい判断基準を心のなかに確立していかなければならない。それは当然、会社にとって何が良いかと言うことでなければ、経営者個人にとって何が良いかという基準でもない。一企業や一個人としての利害得失を超えて、人間として普遍的に正しい判断基準を持つべきなのである。

この、人間として普遍的に正しい判断基準とは、簡単に言えば、公平、公正、正義、努力、勇気、博愛、謙虚、誠実というような言葉で表現できるモノである。自分の心のなかに、人間として普遍的に正しい判断基準を確立し、それに従い行動することが成功への王道なのである。

日本の近代史を繙いてみると、約40年ごとに大きな転換点を迎えている。1868年の明治維新を契機として、それまで封建国家であった日本は、富国強兵策をとり、近代国家への道を一瀉千里に走っていった。その明治維新から約40年後の1905年、日本は当時の超大国・ロシアを打ち破るまでの軍事大国になった。それから40年、1945年に第二次世界大戦で日本は敗戦を迎える。

その後日本は、奇跡の復興を遂げて、戦後40年経った1985年9月にプラザ合意がなされ、先進国協調により急速な円高が進められた。それだけ日本経済の、世界へ及ぼす影響力が大きくなっているのだ。残念なことに、1985年から既に12年が経過しているが、いまだ日本は何も変わっていない。グローバル・スタンダードを受け入れようともしなければ、困っている近隣のアジア諸国を積極的に支援しようともしていない。

このまま日本が変わることが出来なければ、近い将来、日本は世界から疎んじられる哀れな「世界の孤児」になってしまうのではないか。そうならないためにも、今こそ日本は、国民のために、また世界の国々と協調していくために、勇気を持って改革を進めていかなくてはならない。

この宇宙をつくった創造主は、私(稲盛和夫)にすばらしい才能を与えたのかも知れないが、その才能は「世のため人のためにつかえ」と言って、たまたま私に与えたモノでしかない。だからそれを私が自分のものと勘違いし、私物化し、私個人のために使うようなことがあってはならない。

このことに気づいた私は、驕り高ぶりそうになっている自分を猛烈に反省し、自分の才能を、自分のものと勘違いしてはならない、謙虚にして驕らず、世のため人のために役立つよう、さらに努力を続けなければならないと自分自身に言い聞かせた。

このような内容の文章が綴られているが、それと同時に盛和塾からの機関誌マラソン第26号(1998年7月)には、「働く意義」と「理を求むるに道あり」が送られてきている。江戸時代に、石田梅岩は、「商人の売利は士の禄に同じ」と言い、近代では松下幸之助さんが、よい品物を製造しそれを安く大衆に供給する結果として、与えられる報酬が利益なんだ」と言っている。考えたときと、発行の時期は少しずれているようだ。強い相関は感じない。


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| 社長日記 | 04:33 PM | comments (0) | trackback (0) |
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