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沖縄返還から47年もう半世紀前になるが基地問題なお未解決
昭和47年(1972)5月15日が、沖縄返還記念日です。あれから47年、私が大学2年生の時でした。当時沖縄から東京へ来ていた女学生、私のクラスにいたのですが、パスポートを持っていました。彼女が入学した昭和46年、沖縄はアメリカ合衆国の統治下にありました。

その前の昭和33年(1958年)8月31日、戦後初の沖縄代表として夏の甲子園大会に出場した首里高校が、地元に帰った瞬間に「甲子園の土」は没収、海に捨てられるというニュースが大きく報道されました。何という「愚かな」行為かと、その映像を見て思いました。

第2次世界大戦後、米国の統治下にあった沖縄の祖国復帰は、日本人の長年の悲願でした。「核抜き本土並み」を掲げて、日本は米国と粘り強く交渉し、密約を結びながらも、祖国復帰を果たしたのです。佐藤栄作首相が現職首相として戦後初めて沖縄を訪問し、「沖縄が祖国復帰しない限り、戦後は終わらない」と話したのは、今も語り継がれる名言です。

当時はベトナム戦争が行われていて、アメリカ合衆国は北ベトナムと戦っていました。北ベトナムは、ソ連が後ろから支援していました。米ソの戦争の舞台が、ベトナムでした。アメリカに800発はあると言われていた核兵器を搭載した戦艦や潜水艦は、沖縄入港前にどこかへ核爆弾を降ろして沖縄入りするという説明でした。社会党など野党は、不毛の国会議論を繰り返していました。

佐藤首相は、「核を持たず、作らず、持ち込ませず」の「非核三原則」をお経のように空しく唱えていました。当時は東西冷戦下、核兵器が世界の平和を脅かしていた時代です。またこのベトナム戦争は、いまだにアメリカ社会に暗い影を落としています。サンフランシスコ郊外に、「カストロ」と言うゲイの街があります。レインボー7色に、一色足りない旗がシンボルです。ここのゲイボーイは、ベトナム戦争従軍者が多くいます。

ごく最近の話題ですが、沖縄辺野古の米軍基地建設計画は中止になりました。マヨネーズのような軟弱地盤を、くい打ちで凌ごうとしていましたが、くい打ちで地盤強化が出来ないとの結論からです。そればかりか、いよいよ米軍の沖縄撤退の準備が始まっているようです。グアム島からも米軍は、撤退するようです。タイムリミットは、2026年と聞いています。

沖縄は豊かな自然や美しい珊瑚礁に恵まれ、年間1000万人もの観光客が訪れます。上皇陛下も度々、沖縄を訪問しています。皇室にとっても沖縄は、特別のところであります。今の日本で、一番景気の良い県が、沖縄県と言われています。沖縄県の面積は日本全体の1%ですが、そこに国内の米軍基地の70%が集約されています。令和に入って、そろそろ沖縄解放があってしかるべきではないだろうか。


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| 社長日記 | 09:20 AM | comments (0) | trackback (0) |
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