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初代天皇に退位を報告
京都市内で茶会などを主催されている天皇皇后両陛下は、26日奈良県橿原市を訪れ、初代天皇とされる神武天皇陵を参拝され、陛下が4月30日に退位されることを報告したものとみられる。午後には、宿泊先の京都大宮御所に戻られた。陛下の退位を前におこなわれる11の儀式の一つで、4月18日には三重県伊勢市の伊勢神宮、23日には八王子市の昭和天皇陵も参拝予定であります。

天皇皇后両陛下の言動については恐れ多く、小欄で紹介したことはごく少なかったと思います。今回の退位についても、意見を述べる立場ではありませんが、市井の一国民として、「天皇生前退位」のお考えは、僭越ながら「名案」だと感服しております。これほどまでの、GOODアイディアはありません。安倍晋三内閣総理大臣の野望も、かき消されました。

先の御代代わりは、昭和天皇の崩御からのもので、すべてが自粛ムードの中での御代代わりでした。それが今度は、200年ぶりの譲位(君主が存命中の間に、その地位を後継者へ譲り渡す行為)となります。退位で寂しいと思う反面、新天皇が即位され新しい日本が始まるようでワクワクします。

今の天皇陛下も皇太子時代は、そんなに意思を感じられませんでしたが、天皇即位後は、先帝の「戦争のない世紀」を自らのお考えとされて、沖縄を中心とした被災地へ、たびたび足を運ばれ、被災民に親しく寄り添われている姿は、国内のみならず世界へ発信された日本人のお姿でした。

元号も平成から何に変わるかと取りざたされていますが、この際西暦に統一する案もあるようですが、法律からも元号が求められていて、4月1日(月)には内閣から発表されます。どのように決まるのか、中国との摩擦からも、中国の古典からの採用はないと思いますが、外交もそうですが、「日本独自」のモノを取り入れて頂きたい。

4月は、春を迎える明るい季節。そこで新元号が発表されて、5月に交代式がおこなわれ、皇室の慶賀が続きます。天皇制度は、北朝や南朝という話題も巷にはありますが、いずれにしても平成三十一年、皇紀で言えば二千六百七拾九年の新春にあたり、先ず以て皇室の弥栄(いやさか)を寿(ことほ)ぎ奉(たてまつ)ると共に、支援者の皆々様方の一層のご清栄を祈念申しあげます。

タダ歴史的にみれば、御代代わりの年には悪いこともあります。1912年(明治45年/大正元年)7月30日、明治天皇の崩御を受けて「第123代天皇」に践祚し、「大正」と改元した。護憲運動が盛んになり、国内は政治的に大混乱、世界中で争いの波が高まり、そして1914年ついに第一次世界大戦に突入します。

やがて昭和に入り、すぐに世界恐慌に巻き込まれる。昭和天皇は、日本の第124代天皇。諱は裕仁で、称号は迪宮。お印は若竹。第二次世界大戦前から日本が復興するまで60年余りに渡って在位し、大日本帝国憲法における元首天皇と日本国憲法に定められた象徴天皇の両方を経験した天皇であります。

昭和天皇はひたすら「平和」を祈念して、その職を全うされました。それを身近に見ていた天皇は、平成期を振り返り、「戦争がなかった世紀」と締めくくっています。安倍晋三内閣総理大臣の改憲に、日程的にストップをかけた天皇陛下。その願いは先帝と同じ「平和」で、自衛隊が軍隊となれば、海外派兵もつまり自衛隊員の負傷も出るだろう。


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| 社長日記 | 09:01 PM | comments (0) | trackback (0) |
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