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海岸林再生プロジェクト10カ年計画2
東日本大震災復興支援の標題プロジェクトが、私も所属する公益財団法人オイスカで、2011年から行われています。本日オイスカから、これに関連した郵便物が届きました。私も前回、このプロジェクトの広報誌を頂戴し、些少ですが寄付を行いました。熊野神社の社務所新築や平成乙女の像の再建、また直近では高商の選抜大会出場寄付もあり、流石に度々とはなりませんが、今日のネタはこの件の紹介をします。

オイスカとは、「すべての人々がさまざまな違いを乗り越えて共存し、地球上のあらゆる生命の基盤を守り育てようとする世界」を目指して、1961年に創立された国際NGOです。本部を日本に置き、世界に36の拠点を持ち、アジア太平洋地域の開発途上国を中心に、農業技術指導を通した人材育成や森づくりに取り組んでいます。

2011年3月11日、途方もない津波でなぎ倒された宮城県名取市の松林。立ち上がった被災農家とともに、タネから苗木を育てました。わずか数ミリのタネが7年かけて、最高樹高4メートルにまで成長。20メートルの成木に育つまで、まだ30年以上かかります。多くの人の手から手へと紡がれてゆく、郷土史に残るプロジェクトをオイスカが手がけています。

そもそもオイスカが、「海岸林再生プロジェクト」に取り組むことになったのは、現海岸林担当部長、吉田俊通さん(49)の思いつきから。彼は、オイスカではプロジェクトの現場にどっぷり浸かると言うより、プロジェクトと企業の橋渡しをして資金を集める仕事を得意としていたという、いわば営業マンでした。

しかし上司との意見の違いや現場への関心から、いったんオイスカを辞めて林業会社に転職、2年後に戻ってきたのが震災1年半前の2009年秋だったのです。この林業会社の社長に、「オイスカはままごとみたいなことをやっている組織」と言われて、オイスカに復帰する際には、「社長の度肝を抜いてやる」と心に決めたそうです。

同世代の職員として吉田さんと机を並べていた池田浩二さん(50・四国支部事務局次長)によると、職員の間には「え-何やる気やろう、この人大丈夫かな」という空気があったという。最終的には中野利弘理事長(92当時・現顧問)の、「吉田の人生観から出た素晴らしい話し、その意気に感じた」という鶴の一声でオイスカの内部は固まった。

4月4日には、中野理事長以下オイスカの関係者が、皆川芳嗣林野庁長官(当時)を訪ねた。「お金をパットかけて麗々しく援助するのではなく、伝統的な技術(種まきから育苗する)を使って、地道に息長く活動する組織だと承知している。震災後で社会全体がまだ放心状態にあった中、海岸林によく着眼したと驚きました。地域や伝統を大切にする活動を続けてきたオイスカならではの気づきですね。この時点では、まさか100haの規模になるとは思いませんでしたが」と皆川氏は当時を述懐している。

もう一方の主人公は、宮城県名取市の北釜地区で消防団の責任者を務めていた森清さん(64)と、家庭菜園でもいいからやりたい。そう思っても、その土地すらなかった。「昼寝してご飯食って昼寝してご飯食ってだよ。こんな辛いことはなかった」と、集会所の屋根に逃げて助かった高梨仁さん(69)は苦しかった避難所生活を振り返っている。

「何もかも失ったからもう個人では出来ない。共同でやろう。そうすれば国だって、なんだって背中押してくれる。一緒にやんねえか」。そう言う高梨さんや森さんの呼びかけに、積極的に協力する人はいなかった。「何、そんな夢語ってんの。なんにもないのに」という反応に、森さんは、「みんないらだっているし、いらだちを誰にぶつけることも出来ない。仕方ねえな」と思ったという。今の中心組織「名取市海岸林再生の会」も、こんな状態でした。

この二つの組織が、酒の縁でドンピシャな体制になる。プロジェクト期間(2011-2020)終了から2033年までの育林経費の積立2億円以上を合わせて総額予算10億円、2019年1月末現在の寄付額は、6億74132559円。育苗・植栽・育林総雇用数計画では、8年間の雇用実績7,500人(2011-2018)、2033年まで11,000人の雇用計画。寄付受付は2021年3月末で終了します。

昨年10月の五者座談会で、「名取市海岸林再生の会・鈴木英二会長」の発言が、オイスカの8年間を端的にまとめているので紹介して終わる。

震災後の5月に、オイスカの人たちが初めて名取を訪ねてきた。10年計画で、10億円で50万本のマツの苗木を植えていこう、それをオイスカが支援しますと。農家は種まきなんかも上手だから、絶対種まきからやろうと。そういう作業にも、オイスカは手当を出すと約束してくれたことも驚きでした。畑を流されて働けない時に、苗木づくりに携わることで、農家の人たちに賃金が出たんですよ。



壊滅状態の中で、本当に1円も取れない時に、収入に加え、自分たちの技術を活かせて、海岸林の再生が出来る、一石何鳥にもなる仕事。(オイスカからの)指導者には、長く国有林で仕事をしてきた佐々木廣一さん(元林野庁勤務)が来てくれたから心強かった。収入が得られたのは一番大きな魅力でしたし、それが今も続いている要因。全国からのボランティア活動者にも感謝ですが、でもやっぱり、地元の人に賃金が出て、立派な仕事、生業としてやれるのが成功の要因じゃないかな。

少し長くなりましたが、オイスカの活動の一端を紹介しました。わが支部事務局の池田浩二さん(50)が4月21日、オイスカ内で震災の緊急支援を担当していて縁で、ヘリコプターにのって、高度150m程まで降りて海岸線を見たとも書かれている。この会報誌2冊を読み込んで、「海岸林再生プロジェクト」を改めて知ることになった。

オイスカ会員数は全国に4千人・団体、特に四国支部は9百人超いて、最大です。石井淑雄四国支部長は、それでも往年の半分だとか。四国研修センターの存在も、会員増強に一役かっています。会員を増やすことで、資金が増える。また活動に幅が出来ます。



| http://nobuchin.0011.co.jp/index.php?e=4449 |
| 社長日記 | 09:29 AM | comments (0) | trackback (0) |
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