■カレンダー■
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31       
<<前月 2024年03月 次月>>
■お問い合わせは■
松野不動産電話番号:087-888-0011
■過去ログ■
社長日記過去ログ
■メニュー■
松野不動産ホームページ
■管理者■
ADMIN ID:
ADMIN PW:
■新着記事■
■カテゴリー■
■月別アーカイブ■
■リンク■
■その他■
■来訪数■
合計: 2250115
今日: 1873
昨日: 2220
 

坂本龍馬の生涯
四国地区不動産公正取引協議会が、高知のクラウンパレス新阪急ホテルで開催されました。高知県立坂本龍馬記念館の三浦夏樹学芸員から、標題の話しと、「インターネット広告の適正化に向けた対応について」、公正競争規約の解説がありました。小欄では、前段の話題についてかいつまんで紹介します。

昨年の4月に、明治維新から150年を記念したわけではないと思うのですが、新記念館が完成し、新たな明治維新前後の高知藩士の活躍をとりまとめた新展示が始まったようであります。私もガラス張りの本館は行ったことがありますが、新館はまだ行っておりません。桂浜近くにあり、本館の隣に建設されています。

坂本龍馬は、いまさら解説するまでもなく、いまだに多くの日本人に愛されている人気者です。三浦氏は、学芸員で鑑定団ではありませんが、西郷南洲の手紙は500万円位、それに比して坂本龍馬の手紙は、1億6千万円ほどする。概してその手紙が長文であることが多くて、展示会場は反時計回りに回遊することが多い。右から左へ、読むためという。もっとも原文は、私も少しだけ「くずし字」の勉強をしたが、とても読めるモノではない。

「天の時は地の利にしかず、地の利は人の和にしかず」、孟子のこの言葉は、「天の時よりも地の利の方が有利だが、地の利を得ていても人の和には及ばない」と言う意味らしい。物事を成功させる時に最も大事なモノは、人の和だと言うことのようです。竜馬は、これにも長けていた
ようだ。立場が全く違う、勝海舟の弟子にもなっている。

坂本龍馬は、江戸幕府を倒すきっかけを作った人と言われている。坂本龍馬の親友「三吉慎蔵(みよししんぞう)」は、龍馬のことを「過激なることも毫もナシ。かつ声高にことを論ずることもなく、至極おとなしい人。容貌を一見すれば豪気に見受けられるが、万事温和にことを処する人。ただし胆力は極めて大なり」と評している。





龍馬の人気のきっかけは、何と言っても司馬遼太郎の「竜馬がゆく」だろう。「産経新聞」(司馬遼太郎は産経新聞の記者をしていた)夕刊に、1962年6月21日から1966年5月19日まで連載し、1963年から1966年にかけ、文藝春秋全5巻で刊行された。1974年に文春文庫創刊に伴い全8巻で刊行、単行・文庫本ともに改版されている。

詳しくはそれらをお読み頂きたいが、龍馬は大きな船を作り、外国諸国と伍していける日本を考えていたが、同時に「金策」を考える希有な人間だったようだ。三浦氏によれば、坂本龍馬と光岡八郎の二人しか「金策」を考えていた人はいないという。越前藩光岡八郎とは、三岡八郎(維新後は由利公正)。窮乏していた福井藩の財政を再建した三岡の手腕を龍馬は評価し、「会計はとても大事だ、三岡は会計に長じている」と佐佐木に語っていたのです。

90分間のまとめとして、三浦氏は「天の時を知り、地の利を得、人の和を大事にした上、先見の明があり、行動力もあり、強いリーダーシップを発揮できる人。そして、どんな困難な時でも心に余裕を持つことを忘れない。これが成功を収める秘訣であり、龍馬が時代を超えて愛される所以ではないか思う」とまとめられた。


| http://nobuchin.0011.co.jp/index.php?e=4402 |
| 社長日記 | 11:36 AM | comments (0) | trackback (0) |
PAGE TOP ↑