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おわら風の盆2018の最終日
最終日3日の今日は、夜7時からのスタート。11の町内各所で、踊りが始まりました。われわれ4人は、富山駅前のANAホテルを10時前に出て、思いついたようにあの「黒谷美術㈱」を訪問しました。富山県中新川郡立山町に工場があって、近年本社が射水市から移転してきました。今では、本社の裏に工場があるという一体感が、何とも美術鋳造所らしさを醸し出しています。

彫刻家・萬木淳一氏から、大澤秋信工場長の名を聞いていた私は、大澤工場長に面会を求めました。暫くして本社から出てきた大澤氏に事の次第を話して、突然の訪問の非礼を詫びて、名刺交換をしました。ここへ来る予定はなかったもので、名刺替わりの「瓦せんべい」を持参していません。かみさんに叱責されながら、「平成乙女の像」を見るために、大澤工場長に続いて工場内に入りました。



もう数日したら萬木淳一氏もここへ来る予定ですが、私が先に見たことが知れたら、またまた逆鱗に触れるかも知れません。平成乙女の像は未完成ですが、その美しい姿はスッキリと立ち上がっています。ここ黒谷美術㈱は、一貫して完成出来る美術品の鋳造所としては、日本一だと聞いています。勿論国内外へ、完成品を送っています。

それから「きっときと市場」で買い物をして、宅急便で発送を依頼して、と言うのも明日は、台風21号の襲来で、無事帰り着けるかどうか怪しいところです。荷物は軽くしておかなければ。ここから、3年前に偶然立ち寄って印象に残っていた、「きときと寿司氷見店」で昼食。17時からの夕食だから控えめにと互いに声かけながら、たらふく食べてしまいました。

そして八尾へ、向かいます。今日の宿は、八尾の町内にある温泉旅館「ゆうゆう館」、駐車許可書があるのに、ガードマンに氏名を聞かれます。警備も徹底しています。まつりもここまで大規模(3日間で30万人)になったら、踊る方も見る方も距離が近づきすぎて、小さないざこざも多少出ています。

ところで「おわら風の盆」は9月ですが、5月3日は越中八尾の曳山まつり。江戸時代富山藩のお納戸所として、栄華を極めた町人文化の象徴であった曳山行事が今も伝承されています。曳山行事は、下新町にある八幡社の春季祭礼として寛保元年(1741)頃から永きに渡って行われてきた伝統行事です。六基の曳山が連なって町を曳かれていくと、人々は厳かな気持ちに包まれます。

300年の歴史を持つと言われている「おわら風の盆」の踊りですが、踊り手は25歳以下の独身男女、大がかりな婚活イベントだったのかも知れません。「見送りましょうか峠の茶屋まで、人目がなければあなたの部屋まで」。「お風邪召すなと耳まで着せて、聞かせともないオワラ明けの鐘」。

男踊りは、五穀豊穣稲刈りを踊りにしています。稲を刈って、それを縄で束ねます。その仕草が、右手と左手を交差させる動きになっています。それを後ろへ投げる仕草が、男踊り。女踊りは、豊年踊りには農作業の仕草があります。新踊りは夏の河原で、女性が蛍狩りに興じる姿を現しているそうです。踊り型としては、「町流し」、「舞台踊り」、「輪踊り」の三つあります。いずれにしても、よく考えられた踊りで、進化を続けていると見ました。

おわら演舞場(八尾小学校グランド)では、八尾高校演芸部他、三つの支部が舞台踊りを披露しています。2015年に来た時は、ここでも見ましたが大雨で、椅子に座って観劇する余裕がないくらいの雨にたたられました。地元の人やよく来るという人の意見を聞くと、今年の3日間は人が少なかったと話していました。昨日に比べて、確かに今日は少ない。「おわら風の盆」堪能しました。







明日は高松へ移動しますが、大型台風21号直撃の影響で、どこまで帰れるか。ライオンズクラブの例会は中止が決まっています。急いでもどこかで遭遇しそうです。

| http://nobuchin.0011.co.jp/index.php?e=4254 |
| 社長日記 | 06:48 AM | comments (0) | trackback (0) |
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