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梅原猛の授業 道徳
この書は、平成13年の「仏教」の授業に続いて、平成14年4月から9月まで12回にわたって、京都の洛南高等学校附属中学校の3年生に行った道徳の授業をまとめて、朝日新聞社から上梓したものです。今回の授業は、前回の「仏教の授業」以上に大変だったと書いてある。仏教に関しては類書もあろうが、道徳にはほとんど類書はない。

日本の伝統の宗教である仏教を中心にして、儒教・神道・キリスト教を取り入れた道徳を、しかも現代日本の社会の要求に応じて説いた書物はほとんどない。この本には、まだ誰によっても語られていない説が入っている。一つは、道徳は人間のみにあるのではなく、動物にもあると言う説。西洋の倫理学はほとんどすべて道徳を人間のみにあると考えるが、それは誤った人間中心主義であると著者は言う。

道徳は動物にもあるが、動物は自利と利他が自ずからバランスを保っていて、秩序を乱すことはあまりない。しかし人間の欲望は、動物より遙かに複雑で肥大している。その複雑で肥大した欲望を抑えなければ、社会の秩序は破壊される。二つ目は、道徳の根源を母の愛に置いたことである。家族というものを重視しない西洋の倫理学には、このような考え方はほとんどない。

しかし梅原猛は、親の子、特に母の子に対する愛はすべての動物の遺伝子の中に既に含まれているものであり、そのように自然に存在する利他の心を子や孫に、あるいは社会や国家や人類に及ぼしていくのが道徳ではないかと考えている。

いま、日本の道徳はどうなっているかといえば、日本人全体の道徳心が麻痺している。江戸時代の教育は、宗教に基づいていた。明治以後も残った、江戸の道徳の遺産があった。戦前の、君が代・日の丸教育は道徳ではない。明治以降の道徳教育はどうなったのか。神仏分離で、国宝級の仏像が無残にも焼かれた。そして天皇を神とする新しい宗教が生まれた。伝統思想が継承されていない教育勅語は、天皇崇拝の義務だけが書かれたものにすぎない。

では、道徳の根源をどこに求めるのか。道徳は、人間だけにあるものだと考えられてきた。特に西洋の哲学は、人間は動物とは全く違うものと考え、従って道徳も人間だけにあるとしてきた。

しかし梅原猛は、道徳というものも、人間も動物のひとつであるというところから考えた方が良いという。人間だけを特別なものだと考えると、人間を正しく把握することが出来ない。人間は動物の一種、ほ乳類のなかの霊長類に属している。お猿の仲間で、そこから進化したのが人間だという認識に立つ方が人間を正しく把握できると彼は考える。

そして最終章、「人生をより良く生きるために」では、自利利他の心を表した四弘誓願(しぐせいがん)について触れています。四弘誓願は、大乗仏教の共通の誓い、願いです。
「衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)」
衆生とは、生きとし生けるもの。生きているものを、みな救いたいと思う願い。
「煩悩無数誓願断(ぼんのうむしゅせいがんだん)」
人間の数多い欲望を、絶ちたい、抑えたい
「法門無尽誓願学(ほうもんむじんせいがんがく)」
仏教には、いろいろな教えが尽きないほど沢山ある。それを学びたい。
「仏道無上誓願成(ぶつどうむじょうせいがんじょう)」
仏道と言っても、仏教だけに偏る必要はない。この上なく高い悟りの境地に至る

この四つの誓いを心に持っていたら、素晴らしい人生が生きられるのではないかと梅原猛氏は、本の中で書いている。先の「梅原猛の授業 宗教」と、この「梅原猛の授業 道徳」を是非読んでみてください。私ももう一度読み返してみようと思います。大丈夫、中学生用の授業ですから、とてもよく分かりますよ。




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| 社長日記 | 09:34 AM | comments (1) | trackback (0) |
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