2018,04,10, Tuesday
私は宗教のことは、ほとんど知りません。この年になって生まれてくる孫への影響を考えると、少しは宗教のことも知らないと恥ずかしいと思う。盛和塾で、稲盛和夫塾長の話に出てくるのが禅宗です。この「禅宗」と、「浄土宗」、「浄土真宗」の関係について、ほんの少しだけ書いてみます。間違っていたら、ここへ書き込みをせずに、そっと教えて下さい。
「禅宗」は坐禅を組み、意識を統一し、いわゆる悟りの境地に至ろうとする、雑念妄念を払拭していき、純粋な意識に自分を持っていく。その行き着く先が悟りの境地と、言われています。つまり一生懸命に修行をして、悟りの境地に至ることが禅です。 ところが、悟りの境地に行くまでには凄まじい修行をしなければならない。そのため、悟りの境地へ至ることが出来る人は、何万人に一人ぐらいしかいないのです。修行をしても大半の人が悟りの境地まで至れませんから、結局禅宗の修行をしている人の中にも、悟りに達せない人が多い。 一方、そのような禅とは対照的なのが、日本で一番多く信仰されている宗派の「浄土真宗」です。私は為政者の治世のために「浄土真宗」を上手く使った時代があり、それが「浄土真宗」を全国に広めることになった要因の一つだとも思っています。歴史のことを英語でヒストリー(History)と言いますが、これは「his story」彼の物語。つまり歴史とは、権力を握った者が、自分に都合良くでっちあげた物語と言われています。 「法然」が京都の知恩院を本山として「浄土宗」をおこしたのが始まりで、「法然」のあと「親鸞」が現れ、「浄土真宗」をおこします。最初、「天台宗」の勉強をした「親鸞」は、その後「法然」に教えを請い、「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えるだけで救われるという「浄土真宗」の開祖となるわけです。 私の松野家の宗派は、「真宗大谷派(しんしゅうおおたには)」で、「浄土真宗」の宗派の1つで、宗教法人法による宗教法人(包括宗教法人)であります。阿弥陀如来一佛を本尊とし、親鸞を宗祖とする。なぜ、「浄土真宗大谷派」と言わないのか、不思議だ。恥ずかしながら、これまで「浄土宗」と「浄土真宗」は同じものと考えていたのです。しかし、宗祖が違うことが分かった。浄土宗は「法然」、浄土真宗は「親鸞」である。 親鸞は苦心惨憺して、難しいことをいったのでは、迷える衆生は集まってこないので、親鸞は念仏を唱えさえすれば、どんな人でも極楽浄土へ往生出来るのだと説き、人々が少しでも素直な気持ちになって、念仏でも唱えてみようかと思わせるようにした。お寺へ来て、親鸞の話を聞けば、少しは善いことをしようと思うようになると考えたのだと思います。 繰り返しになりますが、浄土宗は法然、浄土真宗は親鸞です。浄土真宗本願寺派も、浄土真宗だか。 |