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2003/9/5

元巨人軍の角盈男投手

 徳島県鳴門市のホテルで、財団法人日本賃貸住宅管理協会と全国賃貸管理ビジネス協会四国支部の定例会が開催されました。
 硬い話は明日へ送って、今日は、角投手の「野球裏話」を紹介します。ご存じ角投手は、米子工業高校から、三菱重工三原を経て、昭和51年、ドラフト第3位、52年巨人軍入団。長島監督率いる読売ジャイアンツに入団。その後、新人王、最優秀救援投手に輝く。昭和62年、日本ハムに移籍。さらに、平成4年にヤクルトへ移籍。野村監督のもと、リーグ優勝で有終の美を飾る。その後、元祖ベースボールタレントとして活躍するかたわら、ヤクルトの投手コーチを経験し、球団を日本一にすることに貢献。平成6年、古巣・巨人の投手コーチに就任。この年に退団。 これが角三男さんの主な経歴です。
 面白いのはやはり長嶋監督の話。10年来のマッサージ師の名前を間違って言ったり、風呂へ入ればカラスの行水だか、後はシャボンだらけで誰も入れないとか、話題はつきない。
 監督として印象に残っているのは、まず藤田監督。中心選手を大衆の面前で叱りつけ、あとで監督室に呼んで、「さっきは悪かった。でもお前も最近少しだらけているやろ。気合い入れてやってな。お前が頼りなんやから」とフォローを欠かさない監督。この藤田さんは、テレビでよくやる昔の、昭和天皇がご覧になっていた天覧試合で、阪神の村山が投げた球を長嶋がホームランした絵は有名だが、その時の勝利投手が藤田投手(監督)だったというのは知らなかった。
 野村監督にはいろいろ教えられたようで、「今日このように話が出来るのも野村さんのお陰」と締めくくっていました。これから監督に必要なのは「愛」だそうです。