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2003/2/4

昨日の鬼は今日の友

昨日は節分でした。今日は立春で、暦だけの世界ですがもうすぐ春です。昨晩は高松市郊外の「郷屋敷」で大阪の鬼「坪多晶子先生」と東京からの鬼「吉野伸先生」らと豆まきをしました。お二人とも地元を離れての豆まきで、少々いらだちを隠しきれないご様子。松野誠寛が鬼になって退治されようかと考えましたたが、結果は事務局の若者が損な役回りでした。
鬼といえば鬼退治伝説ですが、岡山と高松にそれぞれ鬼退治の跡があります。われわれさぬき人は、桃太郎は香川の地で鬼退治をしたと信じています。
高松市の西部に鬼無(きなし)町がありその南西部にある袋山(ふくろやま)のふもとに桃太郎神社があります。とても小さな神社です。ここにはなんと、桃太郎の墓、そして家来の犬、猿、雉の墓があります。この神社は、もともと熊野神社と言いましたが、それ以前は出城であったそうです。

この神社に入ると看板がありまして、そこには桃太郎は孝霊天皇第八皇子の稚武彦命(わかたけひこのみこと)であったと記されています。
鬼無桃太郎説では実は洗濯していたのは、おばあさんでなくて娘で、船で通りかかった桃太郎(稚武彦)が彼女を見染めて、この鬼無の地に根を降ろしたといわれています。

この娘がで洗濯をしていた時、船に乗って来られたのが雅武彦命でした。命は鬼征伐かたがた「一宮(いちのみや)」に住んでおられる姉姫様(倭迹迹日百襲姫命、やまとととひももそひめのみこと)に逢いに来られたのですが、洗濯をしている娘を一目見るなり一目ぼれしたようです。一方は皇子、一方は宇佐津彦命の後裔という家柄の娘なので、桃太郎はそのまま「神高」へ養子に来たわけです。

鬼ヶ島というのは「女木島」(香川県高松市女木町)のことです。高松港から船で20分ほどのところにあります。鬼というのは当時「女木島」の岩窟を住居とし沿岸各地に出没、悪いことをし暴威を奮っていた人面獣心の海賊であったのです。私は海賊だったと思いますが。是非お越しください。